「お正月」の各種行事というのは、近年は諸外国からも正しく評価されつつある“カタチから入る”という日本の得意技が濃密に反映されているような気がして、昔はどちらかというとキライだった(ただしお年玉は例外だ)。
なんでかと考えるに、“カタチから入る”ためには、“カタチ”を身につける必要があり、そのための克己的な鍛錬や努力といったものが要請される。それをイコール“自分を殺すこと”と感じたり、学校の先生や政治家が“管理ツール”として上手く使ってるんじゃないか、と背伸びした勘ぐりをしてしまったりしたからだろう。
そうした浅薄な、本当はつらいことを避けたいだけの幼稚な思考にとって、気持ちのままに好き放題振る舞っているように見えるロック・ミュージシャンというのは崇拝の対象であると同時に、サボリの格好の言い訳としても機能してくれたというわけだ。感性のままに生きようじゃないか。
そんな“感性”の代表格ととらえられがちなクラプトンだが、実はそのイメージは間違いだ。クリーム『フェアウェル・コンサート』のインタビューでは、かなりハードにブルース・ギターの基礎練習を積んだと語っているし、ロバート・ジョンソンのカバーDVDでの、完コピにトライするくだりにも感服する。
そうした修行の過程が如実に反映された名演が60年代クラプトンの希有のギター・インストゥルメンタル『Hideaway』だろう。前半でブルースのカタチをしっかりと踏襲し、終盤の追い込みでそこから自由に羽ばたく歓喜のフレーズを聴くことができる。
自分の人生を振り返ってみるに遅きに失した感もあるが、本当の自由に到達するためには、カタチを学ぶ、という努力がやはり必修過程ということなのだろう。

■収録アルバム< Bluesbreakers With Eric Clapton ( ブルースブレーカーズ・ウィズ・エリック・クラプトン )>