マーケティングでよく引き合いに出される消費者行動論にマズローの欲求モデルというポピュラーな理屈があって、それはおおよそ「人間の欲求は5段階のピラミッド型の階層構造になっていて、各人はひとつの欲求が満たされると一段階上の欲求へ向かう」といったものだ。
マズローの場合は、最下層が生理的欲求で、最上階層が自己実現欲求という、いかにもアメリカ人らしい前向きな理論だが、これをCDコレクターのパロディにしてみよう。
まず、「手元に音源がないからとにかくCDが欲しい」という最初の段階。次が「音がモコモコしているからクリアなリマスター盤が欲しい」段階。その次が「好きな曲をミックス違いで聴いてみたい」という段階。そして次が「やっぱりなるべく当初の塩ビ盤に近い音質で聴きたい」となるだろうか。
一時はリマスター&リミックス盤の"音の良さ"に惹かれてコレクションしたものの、最近はそうしたサウンドの新解釈が必ずしもベストではないと感じることが多くなった。
リマスターが過ぎると、ギターもなんだかアンプを介さず直差し込みしたようなやせ細った透明な音質になってしまって、骨太に歪んだ空気のうねりのようなものが失われてしまった気がしてしまう。
そういうわけで今、あえてモコモコの初代レインボウ・コンサートCDを聴いている。当初は音質の悪さはもとより、選曲にもかなりブーイングがあったらしいが、今聞き返してみると、人気の『バッジ』にはじまり、『ロール・イット・オーバー』で熱いギターを披露。そしてスーパースターのウィンウッドが登場し『プレゼンス・オブ・ザ・ロード』とトラフィックの『パーリィ・クイーン』でブラインド・フェイスをリユニオン。次の『アフター・ミッドナイト』ではピート・タウンゼントのソロをフィーチャー。ラストにみんなが大好きなジミヘンの『リトル・ウィング』でロン・ウッドとギター・バトル。と実は良くできた構成になっていたりする。
まあ『パーリィ・クイーン』は本家のトラフィックのバージョンのウィンウッドのギターフレーズが強烈すぎてクラプトンのギターが物足りないが、そこは目をつぶってもあまりある感動的なコラボだろう。
さて、CDコレクターの最上階層の欲求はなんだろう。西新宿の雑居ビルへ向かうか、タイムマシンで73年のレインボウ・シアターに向かうか。
■収録アルバム< Rainbow Concert ( レインボウ・コンサート )>
マズローの場合は、最下層が生理的欲求で、最上階層が自己実現欲求という、いかにもアメリカ人らしい前向きな理論だが、これをCDコレクターのパロディにしてみよう。
まず、「手元に音源がないからとにかくCDが欲しい」という最初の段階。次が「音がモコモコしているからクリアなリマスター盤が欲しい」段階。その次が「好きな曲をミックス違いで聴いてみたい」という段階。そして次が「やっぱりなるべく当初の塩ビ盤に近い音質で聴きたい」となるだろうか。
一時はリマスター&リミックス盤の"音の良さ"に惹かれてコレクションしたものの、最近はそうしたサウンドの新解釈が必ずしもベストではないと感じることが多くなった。
リマスターが過ぎると、ギターもなんだかアンプを介さず直差し込みしたようなやせ細った透明な音質になってしまって、骨太に歪んだ空気のうねりのようなものが失われてしまった気がしてしまう。
そういうわけで今、あえてモコモコの初代レインボウ・コンサートCDを聴いている。当初は音質の悪さはもとより、選曲にもかなりブーイングがあったらしいが、今聞き返してみると、人気の『バッジ』にはじまり、『ロール・イット・オーバー』で熱いギターを披露。そしてスーパースターのウィンウッドが登場し『プレゼンス・オブ・ザ・ロード』とトラフィックの『パーリィ・クイーン』でブラインド・フェイスをリユニオン。次の『アフター・ミッドナイト』ではピート・タウンゼントのソロをフィーチャー。ラストにみんなが大好きなジミヘンの『リトル・ウィング』でロン・ウッドとギター・バトル。と実は良くできた構成になっていたりする。
まあ『パーリィ・クイーン』は本家のトラフィックのバージョンのウィンウッドのギターフレーズが強烈すぎてクラプトンのギターが物足りないが、そこは目をつぶってもあまりある感動的なコラボだろう。
さて、CDコレクターの最上階層の欲求はなんだろう。西新宿の雑居ビルへ向かうか、タイムマシンで73年のレインボウ・シアターに向かうか。
■収録アルバム< Rainbow Concert ( レインボウ・コンサート )>
コメント
コメント一覧 (2)
聴くより見たい... タイムマシンで73年のレインボウ・シアターに向かう方を選びたいと思います。
確かにレインボウ・コンサートは通常いちばん後回しになってしまうアイテムです。ぼくも6曲入りを聴いたのは20年ぶりぐらいですから。顔ぶれはスゴイんですけどね。