巷に春の気配が漂い始めると、最初に思い出すのが1981年の春である。
その年の4月、ぼくは大学に通うために横浜のはずれで一人暮らしをすることになった。必要な着替えと、荷物になるからと当面聴くためのたった2枚のレコードを携えて。
一枚は大滝詠一の<ア・ロング・バケーション>で、もう一枚がクラプトンの<アナザー・チケット>、2枚とも発売されたばかりの新譜だった。
当時は今のようにCDを気軽に聴き捨てるという時代ではなく、LPレコードを選ぶということは、自分の音楽的成長度合い(リスナーとして、プレイヤーとして)やライフスタイルを再確認し、そのレコードを所有することが身の丈に合ったことなのかどうかを悶々と自問自答したうえで、ゴーサインが出ればようやく2800円ばかりを財布から取り出す、という作業を必要とした。
従って自分のレコード・ライブラリというのは、いわばアイデンティティの一部とでもいえるくらい重要なものでもあったのだ。
そんなわけでその2枚のレコードは恐ろしい回数聴いた。たしか昔日本のミュージシャンで、レット・イット・ビーを聴きすぎて溝が削れたためB面のゲット・バックが混ざって聞こえてきたという凄いギャグがあったが、それは誰が言ったのだったか。
ところでご存じの通り、<ア・ロング>は今もって売れ続け、さまざまなバリエーションも登場しているロング・セラーだが、<アナザー>のほうはどちらかといえば、というかどうにもパッとしない。
このA面ラストの『アイ・キャント・スタンド・イット』も先行だったか同時だったかの1stシングルだが、枯れてよれよれ。中盤のあっという間に終わってしまうギターソロも、消え入りそうに元気がない。そこがまたいいんだよね、といってくれるファンに期待するばかりではクラプトン市場のさらなる縮小もいたしかたないだろう。といったあたりが一般的な評価だったろうか。
とはいえ、個人的には冒頭の事情があるがために、なくてはならない特別の1枚となってしまったというわけだ。

■収録アルバム< Another Ticket ( アナザー・チケット ) >