Dedicated To K
たしか1991年の春だったと思う。当時僕は2年ともたず職場を転々としていたので、勤めていた会社と関連づけて思い出すことで、その出来事がだいたい何年頃だ、というのをかなりの正確さで判別できてしまうのだ。
その頃、中央競馬が異常な人気を博していて、あらゆるマスメディアが、競馬というのは健全なスポーツで、女性同士やご家族連れの方が競馬場にいらして馬券を買うことは全く問題がない、それどころかむしろ国として推奨すべき行為でさえある、といった論調を展開していた。「もちろん、どんなに見た目を繕っても、競馬がギャンブルであることは承知していますよ。だけどご覧なさい、この高貴さを。競艇や競輪とは、全然違うんです」
そんな競馬ブームに乗っかってイメチェンしたのが大井で開催される東京シティ競馬のトゥインクルレースで、会社帰りのOLさんもお気軽にどうぞ、とうたったナイター競馬だった。そのトゥインクルレースに、遅ればせながら競馬をちょっとかじり始めた僕が一度も競馬をしたことがないY先輩とK君を誘ったのだ。
行きのモノレールの中で、Y先輩は僕が用意した日刊ゲンダイの出馬表を恐ろしい形相で見つめ、買うべき馬券を論理的に決定しようと頭をフル回転させていた。K君はほとんど競馬には興味はないようで、後輩の女性関係がいかにひどいかを、女性の身体を熟知した男だけが体得できる抑制の効いた口調と言葉で生々しく解説してくれたりした。
K君は僕のひとつ年下のサークルの後輩で、そのクールでどこか儚げな外見とアクロバティックな行動力、世代性別を問わない交友関係など、石橋をたたいて渡らないタイプの僕とは正反対の生き様に僕はずいぶんと憧れてもいた。ただあまりにも大きな理想、描く絵図の壮大さに比して、いつも心が少しだけ追いつかず、かなり苦しんでいたことについては、この頃すでに見破られてはいたのだけれど。
僕はK君の女性についての解説に、うんうんと頷きながらさも知った風にコメントしたりしてなんとか対等になろうと背伸びした。Y先輩は、「よし決めた!ナイキゴージャス」と言った。
競馬場に着くと、よく分からないままにパドックを回ってから窓口に並んだ。僕はメインレースでなんの深読みもない枠連を千円ずつ何点か購入した。Y先輩は窓口のおばちゃんに「ナイキゴージャス!」と叫ぶと、おばちゃんは「何レースの何番か言ってね」とたしなめた。その口調に僕は何か違和感を覚えた。K君は馬券を買わなかった。
席について当該レースが始まる段になり、大変な誤りに気づいた。中央競馬になれていた僕は、トゥインクルレースの出馬表が、翌日のレースではなく、新聞が出た「その日」のものであることを知らなかったのだ。つまり僕たちはすでに昨夜終わったレースの出馬表を見て馬券を買ってしまったのだ。だからもちろんナイキゴージャスは走らなかった。僕は「昨夜」の日刊ゲンダイを地面にたたきつけた。
しかし驚くべきことに、僕が間違って買ったつまらない枠連は、当時では稀に見る大穴となり、千円が38万円あまりに化けた。あまりの偶然と競馬の恐ろしさに僕らは狂喜し、震え怖れた。当たり馬券を窓口に出すとおばちゃんは特に驚いた風もなく、淡々とお札を数えて渡してくれた。僕は財布に入りきらない札束を胸ポケットに直に入れた。
帰り道、僕たちは当たった金で「つぼ八」で好きなだけつまみと酒を頼んだが、1万円も使えなかった。K君は、明日用事があるからとひとり帰路についた。その切り上げ方は、やはりクールでどこか儚げだった。Y先輩は僕のマンションに流れ、朝まで遊んだ。
以来僕はギャンブルで大きく当たったことはない。Y先輩もK君も、すでにこの世にはいない。

※ホリー・マザーはエリックが母親をイメージして作詞したとのこと。このハイドパークのライヴは聖歌隊が付いて荘厳なフィナーレとなっています。